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戦国時代 [日記]

最近は減りましたが、
天下が乱れたのは応仁の乱を治めるべき足利幕府の
統制力が無くなったため。
その当時、一番の実力者であり足利氏の一族に繋がる
今川義元は将軍の代わりに天下へ号令しようとして
京に上る途中で桶狭間で信長に討たれてしまった。
そして天下取り競争が起こり、勝ったのが信長だった。

と解釈されている作品が多いです。

かくいうハンターも高校生のころまでは、そうだと思っていました。

でも実際には義元は尾張を版図に入れるために出兵しただけで
京に上る準備は行っていなかった。
また信長が将軍を奉じて京に上り、号令をかけたのを見て
初めて全国の実力ある大名が、天下というものを意識した。
だから京都に上る競争もなければ、信長以外に天下統一と
いう構想を持った大名もいなかった。

まあ目の前の利権だけにしか興味が湧かないのは
今も昔も変わらないということでしょう。
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